僕が立憲民主党を支持する理由

先週末に京都駅で枝野,福山コンビの演説を聞いてきた.それを聞きながら,彼らが2011年原発事故での官房長・副官房長コンビだったことを知った.もちろん,枝野さんが官房長官だったのは知っていたのだけど,福山さんが副だったことは知らず,それを聞いて2011年3月からの半年弱,福島第一原発の事故を受けて,公表された放射線の解析を有志とやっていたことを思い出した.

色々,批判もあったけど,少なくとも僕はあの時の政府の対応は評価している.一寸先がどうなるかわからない混乱の中,文科省を中心に必要と思われる情報を積極的に取りに行っていた.そのうちのどれだけが,官邸の指示で,どれだけが,文科省の有志の動きだったのか知らない.一つ言えるのは僕らが本当に大事だと考えていた一次情報,放射線のデータは隠されたりしなかったし,むしろそのデータを増やす努力もしてくれていた.そのことは今でも強く覚えているし,それこそが枝野さんを今回支持する大きな理由だ.


大まかにはこれで終わりなんだけど,後は与太話.

当時は本当に国難だったと思うし,それに僕らもどれだけ役になったのかわからないけど対抗しようとしていた.その過程で科学者の政治性,というものも意識した.情報を発信する時の取捨選択にかかるプレッシャーとそれによってごく自然に歪められる発信内容.本当にいっぱい見た.期せずして指導的な立場になった教授はほぼ間違いなく意図的に安全性を強調する言説を流布していたし,その真逆に危険性をことさら喧伝することに専念する人もいた.その中で本当に根元にいた当時の政権の中枢の人たちがどれだけしんどかったろうか,というのは思う.ネガティブなところで言えばSPEEDIの早期非公開は各方面から批判されたし(ちなみに僕は非公開賛成派),”直ちに影響はない”という言明もまた批判を集めた.でもその一方で,そんな余裕を持てなかっただけかもしれないけれども,必要な情報を隠さなかったし,能動的に取りに行っていたこと,それはもう少し高く評価して欲しいな,と思う.当時,我々がやったことは,結果論で言えば,現状や,政府から発表されていることに矛盾がないことの追確認でしかなかったけれども,それが出来ただけ良かったと思うし,まずいことが起これば僕らなりにアラートを鳴らせる体制にはなっていた.それは当時は当たり前だと思っていたけれども,ある意味,立憲民主党が掲げている草の根民主主義そのものだったのかもしれないと思うし,今後もそうした状況が変わって欲しくないと心から願う.


蛇足の蛇足
SPEEDIの早期非公開について
これはむしろ僕も(僕の理解では一緒にデータを集めていた僕の周りも)反対だった.理由はいくつかあるけど,大まかに言って,これから得られるデータの粒度が荒すぎること,生データに勝るものはないことがその理由.生データですら,データが対数グラフとして得られるので,その解釈を他の人にどのように提供するかは問題になった.その状況で,さらに初期条件にかなりの曖昧性を持った上で,(確か)せいぜい10km 四方のメッシュサイズでの予測を公開することの意義とそれによってもたらされる混乱を天秤にかけると公開する意義はない.放射性物質は確かに有害で深刻だけど,値が上がったことを確認後,速やかに逃げる,というのでも実用上十分であるのもあるし,実際,飯舘村などの避難はそういうプロセスを辿って行われた.そして大事な生データを増やす努力は色々な形で行われたし,それが隠蔽されることもなかったように思う.